マイページ

秋山英宏コラム

異常な緊張感の中、ジョコビッチとナダルには技術を超えた何かが問われた[ウィンブルドン]

激闘を演じたジョコビッチ(左)とナダル(右)

ラファエル・ナダル(スペイン)とノバク・ジョコビッチ(セルビア)の準決勝は異常な緊張感の中で再開された。前日、ジョコビッチがセットカウント2-1としたところで、大会側と地域住民の話し合いで定められた「門限」の午後11時を回って中断、約14時間後に再開された。

中断までの2時間53分間、再開後の2時間22分間とも極限状態での試合となった。

選手にはストレスの要因がいくつもあった。前の試合がグランドスラム史上2番目に長い6時間36分もかかり、その間、二人は準備しながら待機した。そして、11時のタイムリミットを気にしながらの試合開始と、最初から異常事態の連続だった。

中断から翌日の再開までの「14時間」はあまりにも短い。選手には体のケア、食事、睡眠、準備など多くのルーティンがある。インタビューで「昨夜は眠れたか」と聞かれたジョコビッチは「眠れたよ、あれを睡眠と言えるなら」と苦笑した。体のケアを十分にしても心身の興奮は収まるとは思えず、浅い眠りで再開に備えたことは明らかだ。

前日は日没を考慮し、最初から屋根を閉め照明を付けてスタートした。開始時に近い環境で再開するのが規則なので、晴天だったが屋根を閉めたまま再開。ストロークに自信を持つナダルは屋外コートすなわち屋根を開けた状態を好むが、ジョコビッチは自然環境に左右されないインドアを好む。結局、屋根を閉めて再開したが、決定に至るまで二人も気を揉んだことだろう。

1-2からの再開は、リードを許したナダルにとっては1セットマッチを2つやるようなもの。ジョコビッチにしても、少しでも気がゆるめば逆転を許す恐れがあり、1ポイント目からクライマックスのような集中力が要求された。

多くのストレス要因があり、極限状態での試合であったからこそ、二人には技術や戦術を超えた何かが問われたはずだ。選手としての度量とか肝の据わり方とか、ようするに全人格的なものだ。

人間力という言葉はできるだけ使わないようにしている。意味が分かったようで分からないし、そのくせ肯定的なイメージを人に与える便利な言葉だからだ。だが、1対1で争うテニスでは、確かに人間としての総合力が勝敗を分ける。もともとメンタル的な要素の強い競技である。しかも、昨日のコラムで引用したように、昨今は「メンタル面、フィジカル面がからんでテニスはより複雑に、込み入ったものとなっている」。マインドセットとか競技に献身的であることが勝敗を分ける要因となる。だから、人間力、いや、それぞれの個性、人間性を競い合う一面は確かにある。極限状態であればなおさらその深みや幅の広さが試される。

それが勝敗を分けた、というのではない。この試合で、ファンはジョコビッチとナダルの個性、人格の深みを堪能しただろう。両者とも勇敢だった。緊張やおびえをラケットを振ることで振り払った。うまさを競うのでなく、持てるものを全部、場にさらして、どっちが強いかという勝負をした。そこがこの試合のキモだった。

ジョコビッチは試合後、テレビのインタビューにまず「言葉がみつからない」と答え、一瞬、感極まったような表情を見せた。

「この(故障と不振に悩み続けた)15カ月のことがフラッシュバックしてきて、なにか圧倒されたような気分だ。世界一のプレーヤーと2日がかりの試合をして勝つことができた。どちらに転んでもおかしくなかった。ほんの小さなことが二人の立場を分けた」

ナダルは試合後、悔しさを押し殺し、「結果には満足していないが、この試合にかかわれたことはうれしく思っている」と話した。言い訳をせず、ジョコビッチに脱帽した。

「僕は自分に厳しい人間だが、今日はいいショットがたくさんあった。ミスもあったが、ベストを尽くし、その僕を彼が倒した。彼がうわてだった。今日は屋根の話はしたくない。そのことを君たちに書いてもらいたくないんだ」

センターコートを去るナダルの姿が印象的だった。先に荷物をまとめると、ジョコビッチの支度が済むのを待ち、並んでコートを去った。敗者となったのに、ジョコビッチより長く観客のサインの求めに応じた。

ジョコビッチは「こういう試合をするために練習し、生きている」と話したが、テニスファンの多くが同じことを思っただろう。テニスを見るのは、こういう試合が見たいからだと。

(秋山英宏)

※写真は激闘を演じたジョコビッチ(左)とナダル(右)
(Photo by TPN/Getty Images)

秋山英宏コラムの関連記事

PAGE TOP
menu