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コラム

数々のドラマがあった...全日本テニス選手権 女子

写真は2009年「ウィンブルドン」での井上雅

東欧のジョージアから始まり、イタリア、ポーランド、セルビア、チェコ、そしてスペインをともに渡り歩いた二人の足跡は、国内最高峰大会である全日本選手権の、頂点へと続いていった——。いずれも2001年生まれの20歳。川村茉奈と光崎楓奈は、ジュニア時代から互いをよく知り、海外遠征にも肩を並べて飛び出した仲だ。

高校卒業後にプロになった二人は、今年の7月からの2か月に及ぶ欧州遠征でも、ダブルスを組み、同じ部屋に泊まって、苦楽を共有してきた。試合が終わればすぐに二人で、次の目的地へのフライトチケットを探す。コロナ禍で入国条件や規制も国によって異なるなか、PCRテストを受けられる場所を探し、外務省のウェブサイトの英語とも格闘しながら、戦績と共に刻一刻と変わる旅程をつなぎあわせていった。


「わたしは英語が苦手なので、得意な川村さんに頼ってました」


光崎が恥ずかしそうに言えば、英語教師を父に持つ川村は「二人で不安そうにラケットバックを背負っていると、みんな親切にしてくれるんです」と目じりを下げて、サバイバル術の秘訣を明かす。


試合でも、最初は欧州勢のパワーに打ち負かされることも多かったが、二人で「どうやれば勝てるのか」を話し合い、コート上でも意思を重ねた。結果的に、二人そろって「このヨーロッパ遠征が自信になった」と口を揃える武者修行の、ターニングポイントはポーランドでつかんだダブルス優勝。 


川村は、パワーに対抗する中で、もとより武器とする戦略性に一層の磨きをかけた。光崎も、赤土の上で長引くラリーやイレギュラーにも気持ちを切らさぬ、「粘り強さ」を習得する。


帰国後には、全日本に向けた練習もともにした二人は、「シングルスの決勝で対戦したいね」「ダブルスでも二人で決勝に行きたいね」と夢を語り合った。


大会のシングルスドローが発表された時、二人がドローの反対側に配されたことを知った川村と光崎は、「これで本当に、決勝で対戦できるかも」と胸が高鳴ったという。


その想いが、推進力になっただろうか。全日本初出場の川村は、分析力の高さを証明するかのように、長く競った試合を制し一歩一歩勝ち進んだ。


一方の光崎は、小柄な身体をボールにぶつけるような小気味好いプレーで、ドローを駆けあっていく。準決勝では川村が、フルセットの逆転という彼女らしい勝利で、一足先に決勝戦の席を確保。


その勝利に「プレッシャーを感じた」という光崎も、やはり持ち味を発揮し6-1,6-3の快勝。さらには続いて二人で組んだダブルスでも、川村/光崎組は辛勝で決勝へと勝ち進む。


かくして二人の夢は、語り合った約1か月後に現実となった。


夢の舞台に立つ二人に、緊張や硬さはなかったという。序盤戦を支配したのは、ミスなく深いボールを打ち込む、成熟のテニスを見せた川村。


第2セットを制したのは、その川村のテニスに「焦らず、落ち着いてラリーする」ことで対応し、機を見て攻撃力を発揮した光崎。


セットを分け合い、互いの手の内も把握したうえで駆け込んだファイナルセットでは、ブレーク合戦が続く。肩をぶつけ合うその並走状態から、最後に抜け出したのは、川村だった。


リターンで攻め、長いラリーでも攻撃的な姿勢を崩さなかった川村のストロークの前に、光崎の集中力が「スッと抜けた」。マッチポイントで光崎はファーストサービスをミスし、セカンドサーブも、ネットに当たり大きく跳ねた。その瞬間、光崎は両手を膝に当ててうな垂れ、川村は淡々とネットへと歩み寄る。


初出場での、初戴冠。光崎のセカンドサーブがネットを越えなかった時の胸中を、川村は「緊張もしていたので、ホッとした」と打ち明けた。


ノーシードの20歳決勝は、ともすると波乱の展開に思えるかもしれない。


だが、二人が辿ってきた足跡と進む先に目を向けた時、必然の結末に見える。


それは「楓奈ちゃんと一緒に、グランドスラム本戦を目指していきます」という川村の言葉通り、ここがあくまで「通過点」だからだ。

【もう一つの物語】


川村と光崎がダブルスの準決勝で逆転勝利を手にした時、当時者の二人以外にもう一人、「理想のシナリオが実現した!」と喜んだ人物がいた。それが、一足先にダブルス決勝の席を確保し、隣のコートで練習していた井上雅。今年11月に30歳を迎える井上は、この全日本選手権を、プロキャリア最後の大会と定めていた。


土居美咲奈良くるみと同期の井上は、黄金世代の一人として、ジュニア時代から世界を舞台に活躍したエリートだ。だが当時の彼女に、テニスを楽しむ気持ちは希薄だったという。それがジュニア最後の年、ウィンブルドン・ジュニアでベスト4に勝ち上がったことで、テニスへの情熱が急速に高まった。


親の反対を押し切って、高校卒業と同時にプロに転向。


「もう一度、プロとしてウィンブルドンに戻ってきたい」


彼女を突き動かすのは、17歳の時に目にした“テニスの聖地”の煌びやかな光景だった。


結果から言うと、彼女は、グランドスラムの舞台に戻ることなくキャリアに幕を引く。それでもプロとして歩んだ12年間を、「本当に悔いはない」と明言した。それはプロ転向後、10代の頃には感じたことのなかった、テニスの楽しさと美しさを知ったからだ。


応援してくれる人々の声。同志ともいえるライバルたちとの真剣勝負。井上はそれらの交流を、「会話のようなもの」だと言った。 


最後の大会のダブルスパートナーとなった大前綾希子も、交流の中で絆を深めた戦友である。


「最後は、あっこ(大前の愛称)と一緒に戦いたい」


友人のその言葉に、出場するつもりのなかった大前の心も動いた。シングルスでは2回戦で敗れた井上の、最後の相手は光崎楓奈。地元の近い光崎は、一緒に練習もする間柄だ。その後輩に敗れた時から、井上は「ダブルスで楓奈ちゃんたちと対戦したい」と切望した。


「川村さんと光崎さんは、勝つべくして勝ってきている。今大会で一番強いペアだと思ったし、あの二人に勝てるのは、うちしかないと思う」


井上に10年近く連れ添ったコーチも、静かな口調に自信を込めた。


大団円のシナリオに向け最後の勝利を書き加えるべく、決勝に挑む井上と大前は、「若さでは叶わないんだから、元気とパワーで勝とう!」と笑顔を交わし合ったという。経験と技で勝つ……などとは言わないところが、いかにもこの二人らしい。そして現に29歳と28歳のペアは、ポイントを取れば飛び跳ね喜び、ミスをすれば「ドンマイ、ドンマイ!」「ナイス・トライ!」と励まし合った。


迎えた最初のマッチポイントでは、井上がボレーで決めるチャンスを得ながらも、「ぜんぜんラケットに当たらなくて」と苦笑いのミス。それだけに優勝へのサービスゲームで、井上は「自分のサーブで決めるしかない!」と気持ちを一層引き締めた。


4度目のマッチポイント——。ワイドに刺さる井上のサーブに、相手のリターンが大きく浮く。迷いなく打ち込んだ井上のドライブボレーは、相手のラケットを弾き、ラインの外へと逸れていった。


先にラケットを落とし叫んだのは、「雅に優勝をプレゼントするしかない」と責任を抱えこんでいた大前。その大前に飛びつかれた井上は、顔を手で覆い涙を流した。


無観客のビーンズドームに、二人の泣き声が重なり響く。


「これが本当の有終の美」


声を弾ませ、井上が笑顔を輝かせる。人の縁を引き寄せ、「会話」たるラリーで物語を紡ぎながら自ら演じた、最後で最高のフィナーレだった。


(内田暁)


※写真は「大正製薬リポビタン全日本テニス選手権96th」でダブルス優勝したの井上雅(右)と大前 綾希子(左)
(Photo by 今泉智仁さん)

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