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錦織、西岡、松岡...怪我とともに生きる選手たち

写真は左から松岡修造、西岡良仁、錦織圭 

アスリートに怪我はつきものだ。格闘技に怪我が多いのは当然だが、コンタクトスポーツであるサッカーやアメリカンフットボールでも、常に怪我のリスクがつきまとう。テニスもそれは同様で、選手たちは怪我を負いながらもプレーを続けている。そんな例をご紹介しよう。

錦織圭飛躍の代償に特技と精神力で対応


2014年の「全米オープン」で日本選手として初の決勝進出を果たした錦織圭(日本/日清食品)のキャリアも、怪我と無縁ではない。彼が最初に経験した大きな怪我は2009年の右肘の疲労骨折で、これによってほぼ1年間ラケットを握ることができなかった。


復活して「全米オープン」決勝進出を果たした2014年から2015年にかけて、世界ランキング4位に達するなど大きく飛躍したが、ランキングの上昇と比例して怪我の頻度も高まった。膝、ふくらはぎ、足の指、臀部、腰、手首、脇腹など、小さな故障を何度も経験。勝率が上がると同時に、トーナメントを途中棄権する回数も増えた。


2017年には右手首の腱の裂傷のため、シーズン後半の半年間休養せざるを得なかった。復帰後、2019年の「ATP250 ブリスベン」で3年ぶりのツアー優勝を飾るが、右肘の手術のためにまた戦線離脱を余儀なくされる。世界中がパンデミックに翻弄される2020年には、錦織も夏に感染が発覚。のちに復帰したが、感覚を取り戻せないまま今度は右肩を痛めてしまい、ほぼ1年を棒に振る形となった。


錦織は今春、元サッカー日本代表の本田圭佑から、「もし今の経験値と知識のままで少年時代に戻れるなら、どういう系のトレーニングに最も時間を使いますか」と訊かれ、「ストレッチです。ストレッチでかなり怪我を予防できたんじゃないかと思うので。結構ここを怠っていた自分が昔はいた」と答えている。


トップ選手は常にストレスとプレッシャーに晒されながら世界を転戦しているが、錦織の場合、「どこででも寝られる」という特技で対応。一日9~10時間以上睡眠をとり、日中に昼寝もする。空き時間が10分でもできればすぐに寝られる。「昔から眠るのが大好きだった。眠らないとエネルギーを感じられない」「寝るのが一番幸せ。寝ることができるのを、皆さん感謝しないとだめですよ」など、いくつかのインタビューで眠ることの大切さを訴えている。


12月初めに開催された「WOWOWテニスフェスティバル2020」では、周囲からのプレッシャーについて聞かれ、「プレッシャーというのはそこまでないんですよね。昔も今も」と回答。どこででも寝られ、プレッシャーを感じない精神的タフさも強さの一因と言えそうだ。


2021年シーズンに向けては、「自分の中でも直すところは多いですし、そういうのも自分の中では楽しかったりする」と前向きなコメントを寄せている。今月末に31歳になるが、進化していきたい思いは「むしろ増えているくらい」だと述べており、2021年シーズンの再起が期待される。


西岡良仁靱帯損傷から日本の牽引役に成長


絶対的エースの錦織の影に隠れがちだが、西岡良仁(日本/ミキハウス)も2018年には「ATP250 深セン」で優勝し、日本人として5人目のATPツアー勝者となった。その西岡も、やはり怪我と無縁ではない。特にツアー初勝利を挙げる前年の2017年は、左膝の靭帯を損傷し、手術のためツアーの長期離脱を余儀なくされている。


今年は錦織が実質活動しなかったこともあり、年初の「ATPカップ」では西岡がチームを牽引した。「全米オープン」では1回戦で元世界ランキング1位のアンディ・マレー(イギリス)と対戦し、マッチポイントを握るまで追い詰めながら惜しくも逆転負けを喫したことも記憶に新しい。


西岡は11月の「ATP1000 パリ」をもって今年のスケジュールを終了しているが、何もかも初めてづくしとなったパンデミック下でのツアー参戦や移動について、「流石にバブル下でずっと1人の遠征はキツかった…」とコメントしている。錦織同様、十分な休養をとって来季活躍してくれることが待たれる。


松岡修造テニス界のルールを変えた熱い男


既に現役を引退して久しいが、日本人テニス選手で怪我というと、「シューゾー・マツオカ・ルール」というルール改正を実現させた松岡修造を忘れるわけにはいかない。


松岡はもともと怪我が多く、両膝の半月板損傷、左足首靭帯断裂など、それこそ選手生命が終わってもおかしくないほどの怪我を何度も経験していた。それでも1995年、日本人選手として1933年の佐藤次郎以来62年ぶりとなる「ウィンブルドン」ベスト8に入る快挙を達成。疲れてはいたが、続く「全米オープン」にも出場した。


しかし松岡の疲労は完全には回復しておらず、1回戦のペトル・コルダ(チェコ)戦で、戦局を有利に運びながらも両足が痙攣し、コート上に崩れ落ちた。当時のルールでは痙攣はコート上で治療を受けられる対象ではなかったため、誰も助けの手を差し伸べることができず、コート上で苦悶の表情を浮かべて痙攣する松岡を眺めるしかなかった。その間、無情にもタイムバイオレーションでペナルティだけは加算され続け、結局2分以内にプレーを再開できなかった松岡は、負傷棄権ではなく失格となった。


この模様は世界中に中継されており、あまりにも非人道的だと非難が集中したことから、痙攣時にも治療が受けられる「シューゾー・マツオカ・ルール」が設定されることになった。その後、このルールを悪用する選手が出てきたため、2010年にさらに改正されることになり「シューゾー・マツオカ・ルール」自体はなくなったが、この事件は世界中のテニスファンにシューゾー・マツオカという名を強烈に印象づけた。何が合っても戦おうとする熱いマツオカというイメージは、実は日本だけでなく世界共通なのだ。


(文/生盛健)


※写真は左から松岡修造西岡良仁錦織圭                                                         (Getty Images)

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