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コラム

「ロシアの妖精」の最後までドラマティックなテニス人生

写真はグランドスラムを優勝した時のシャラポワ

2月26日に現役引退を発表した元世界1位のマリア・シャラポワ(ロシア)。日本のニュース番組でも引退が速報として報じられるほど、テニスファン以外にも知られた存在であった彼女は、可憐な容姿から“妖精”と呼ばれて愛されるかと思えば、ボールを打つ時にあげる叫び声のせいで“スクリーム・クイーン”と揶揄されることもあった。そんな彼女のテニス人生は、最初から最後までドラマティックだった。

■テニス選手になったきっかけはチェルノブイリ


シャラポワは2017年に発表した自伝の中で、自分がテニス選手になったきっかけはチェルノブイリの原発事故だと述べている。彼女が生まれる1年前の1986年に事故が起きた時、両親はそこからほど近いベラルーシの町ゴメリに暮らしていた。実際、母親は庭で爆発音を耳にしたという。事故の影響で彼らはロシアのリゾート地ソチに移り住み、そこで盛んだったテニスを父親が始めたことから、彼女も4歳でラケットを握るようになったのだ。


シャラポワの才能は昔から粘り強さと集中力にあった。集中力に関してはNew York Times紙がラファエル・ナダル(スペイン)と比較したほどだ。テニスクリニックで出会ったマルチナ・ナブラチロワ(アメリカ)にアメリカへ行くよう勧められ、6歳だった1994年に父親とともに渡米(当時ビザは入手困難だったため、一緒に取れなかった母親は1996年までソチに残った)。英語がまったく話せず後ろ盾もなければ所持金もわずかな父娘は、新天地で誘拐犯とその被害者と見なされたり、不当な契約を結ばされたりと様々な苦労をしながらも努力し続け、大手エージェンシーであるIMGとの契約を手にする。それをきっかけに事態が好転し、14歳でプロへ転向。


第13シードで出場した2004年の「ウィンブルドン」で17歳にして優勝。その後、2006年に「全米オープン」、2008年に「全豪オープン」、2012年と2014年に「全仏オープン」も制して生涯グランドスラムを達成。2005年8月にロシアの女子選手として初の世界1位になると、2012年のロンドン五輪では同国女子アスリートとして初の旗手を務め、銀メダルを獲得した。


■1ヶ月前は合法だった薬物で人生のどん底へ


しかし2016年、「全豪オープン」中に受けたドーピング検査に引っかかってしまう。原因は、持病のために10年前から定期的に飲んでいた薬で、その年始からWADA(国際アンチドーピング機構)によって禁止薬物に指定されたが、シャラポワはそれを把握しておらず服用し続けていたのだ。本人はすぐさま記者会見を開き、禁止されていた薬を服用したのは意図的ではなく過失だとして釈明。その主張が通り、最終的に出場停止処分は当初の2年間から15ヶ月間へ軽減されたが、ドーピング違反者のレッテルを貼られ、一部のスポンサーや友人から見放されたことで辛い時期を味わったと自伝の中で振り返っている。


2017年4月にようやく復帰するが、21歳の頃から苦しめられてきた、強烈なサーブの代償である肩の痛みや腕の炎症もあり、徐々に試合数が減少(2019年シーズンは16試合、2020年シーズンはわずか2試合)。それまで35のタイトルを手にしてきたが、出場停止から復帰後の優勝は2017年10月の「天津オープン」のみで、引退発表時のランキングは373位まで下がっていた。


■天敵セレナとの因縁


6歳上のセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)とはキャリアを通して深い関わり合いがある。そもそもシャラポワの渡米先がフロリダになったのは、セレナとビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)の姉妹が同地にいたためだった。12歳の時には自分が所属するテニスアカデミーを訪れた本人を初めて目撃。セレナが2002年の「ウィンブルドン」で初優勝した際、ジュニア部門で準優勝していた15歳のシャラポワはライバルの姿を見て“いつか勝ってやる”と闘志を燃やしたという。


ようやく初対戦が実現したのは2004年春のマイアミで、シャラポワはストレートで敗れたものの「頑張っていれば彼女のレベルに近づける」と手ごたえを得る。そして3ヶ月後の「ウィンブルドン」決勝で3連覇を狙う相手をストレートで下し、初のグランドスラムタイトルを手にしたのだった。その後は、「テニス人生で最高のプレー」ができた同年の「WTAファイナル」決勝で再びセレナを破ったが、通算対戦成績では2勝20敗と大きく負け越している。本人によればその理由は、「ウィンブルドン」で自分が勝ったこととその試合後のロッカールームで泣き叫ぶセレナの声を聞いたことが引き金となってセレナは自分を絶対に許さないため。二人の最後の対戦は2019年の「全米オープン」で、それもセレナの勝利に終わっている。


■あのスターの死で引退を決断


伝記で文才を披露していたシャラポワは、引退もエッセイで発表。28年間のテニス人生を情感豊かに綴ったその文面の中で、引退を決断した理由について、2019年「全米オープン」から肉体の衰えを強く感じていたと説明した。そのエッセイの掲載先はスポーツ誌や一般紙でなく、ヴォーグとヴァニティ・フェアというファッション誌/女性誌のサイト。選手時代からファッションモデルとしても活動し、エンターテイメント業界と関わり合いの深い彼女のこの幕引きについて、英BBCは「シャラポワらしい」と形容している。


また、2020年「全豪オープン」敗退後に起きた悲劇も引退決断に関係している。1月26日に事故死した元NBAスターのコービー・ブライアントは、以前から彼女の良き相談相手で、実は事故の3日後に会うはずだった。友人の死は「人生で本当に重要なものは何かや、将来について考えるきっかけになった」という。


引退発表後、5回のグランドスラム優勝について「もっとたくさん優勝できていれば素敵だったけど、ゼロからスタートしたことを考えれば上出来だと思うわ」と語ったシャラポワ。今後は、2012年から手掛けるキャンディ事業により注力するほか、建築を学ぶつもりだと話している。


「テニスのおかげで世界を知り、自分がどんな人間かもわかった。これから新しい章、次に挑戦する“山”を選び、変わらず自分を高めていくわ。頂上を目指し、今も成長し続けているの」とエッセイで綴った元女王は最終的に怪我で選手人生を終えることになったが、自伝の原題「Unstoppable(決して止まらない)」が示すように、これからも新しい分野で歩み続けるのだろう。


(テニスデイリー編集部)


※写真はグランドスラムを優勝した時のシャラポワ
(Getty Images)

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