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サフィン&サフィーナ、ウイリアムズ、ブライアン...テニス選手同士の兄弟姉妹

@Getty Images

他のスポーツと同じように、テニスでも兄弟・姉妹でそろってプレーしていることは珍しくない。とはいえ、共にプロとなり大舞台で活躍するのは非常に狭き門。そんな偉業を成し遂げた稀有な例を、同じスポーツで切磋琢磨することにはどんな恩恵、苦労があったのかといったエピソードも交えてご紹介しよう。

■偉大な兄の後を追い、世界初の快挙~マラト・サフィン&ディナラ・サフィーナ


初めてATP、WTAランキングで共に1位になったのは、マラト・サフィン(ロシア)とディナラ・サフィーナ(ロシア)の兄妹。父はモスクワにある有名なテニスクラブの監督で母はテニスコーチという環境で育った二人は、自然と幼い頃からテニスを始める。先に頭角を現したのは1980年生まれの兄マラトで、2000年の「全米オープン」で20歳にして四大大会初優勝を果たすと、同年11月に世界1位に。2005年には「全豪オープン」も制覇し、「デビスカップ」では母国に2度栄冠をもたらした。


一方、兄がグランドスラムを初めて制した時に14歳だった6歳下の妹ディナラもプロの道を歩み始めるが、有名な兄を持つことに苦しんだようだ。「テニスというスポーツで強く結ばれた家族の中の幼い子どもであることは楽な状況じゃなかった」と回想する彼女は、「マラトの妹」と見なされないように自分の地位を早く確立しようとして自らに重圧をかけてしまい苦労したと述べている。そのためか、四大大会で初めて決勝に進出したのはプロ入り9年目となる2008年の「全仏オープン」。四大大会では結局3度ファイナリストになるも一度も優勝できなかったが、2009年4月に世界1位まで上り詰めた。


年が離れていたこともあってほとんど共にプレーしなかったマラトとディナラだが、2009年の男女混合国別対抗戦「ホップマンカップ」ではシングルスのほか、ダブルスで一緒に戦い、ロシアを準優勝に導いている。


29歳の時にケガで引退することになったマラトは妹に向けて、「自分がこれまでにやったことすべての逆をやれば、トップの座に長くいられるだろう」とアドバイス。それを受けて「兄の失敗から学べるのはいいことね。忠告を生かしたいわ」と言っていたディナラだが、慢性的な背中の痛みに悩まされた結果、兄よりも早い25歳でコートを去ることになってしまった。


意見が衝突することもある二人だが、ディナラは兄のことを誇りに思っているようで、自国の若手カレン・ハチャノフ(ロシア)が「第2のサフィン」と呼ばれた際には「人々がそう呼んでくれるのは嬉しいわ。彼には兄のような成功を収めてほしい」とエールを送っている。


■姉の影から抜け出した、世界で最も有名な姉妹~ビーナス&セレナ・ウイリアムズ


姉妹プレーヤーとして最も有名なのは、そろって世界1位となったビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)とセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)だろう。1978年の「全仏オープン」覇者バージニア・ルジッチ(ルーマニア)に影響された父の指導を受けた二人は、テニスコートにドラッグ用の注射器が落ちていたり、街なかで銃を乱射する男を目にするような過酷な環境で育ちながらも、持ち前のセンスに努力で磨きをかけ、早くから有名な存在となる。


5人姉妹の4番目である1980年生まれの姉ビーナスは、2000年の「ウィンブルドン」でグランドスラム初優勝を果たし、続く「全米オープン」も制覇。翌2001年の「全米オープン」決勝では15ヶ月下の妹セレナが相手となり、117年ぶりにグランドスラム決勝で姉妹対戦が実現した。姉妹旋風は以降も続き、2002年の「全仏オープン」から四大大会で4大会続けて決勝はこの二人の組み合わせに。同じ頃から世界ランキングでも姉妹でトップ2を占めるようになる。


しかし年齢を重ねるにつれてビーナスは病気やケガが増え、セレナも出産とその後の体調不良があり、近年は顔を合わせる機会が減少。2019年5月のローマ大会でセレナがケガのため試合前に棄権したため、31回目の姉妹対決とはならず。その棄権を除くと、通算成績はセレナの18勝12敗だ。


通算成績で姉を上回るだけでなく、シングルスで歴代2位のグランドスラム優勝23回を誇るセレナ(ビーナスは7回)だが、成人するまではずっとビーナスの影を追っていたと告白している。話し方や恰好だけでなく食べるものも同じにするなど、とにかく姉の真似をしようとしており「ビーナスの真似をやめて自分自身でいようとするのは大変だった」と振り返る。


そんな一番身近なライバル同士の二人は、ペアを組んだダブルスでグランドスラム優勝14回、五輪で3つの金メダル獲得という、最高の相棒でもある。2010年にはダブルスで姉妹そろって世界1位に輝いた。また、観客から人種差別的な暴言を浴びた大会をお互い10年以上にわたってボイコットするなど、共に苦難に立ち向かう同志でもある。


私生活でも交流の多い二人は、直接対決においても険悪な雰囲気になることはなく、「勝ち負けに関係なく、(姉妹対決が)終わると安心するの。姉と私は何があろうとも敵対したりしないから」(セレナ)と円満な関係を保っている。


■前例覆し二人三脚で有終の美へ~マイク&ボブ・ブライアン


1978年に双子として生まれたマイク・ブライアン(アメリカ)とボブ・ブライアン(アメリカ)は、ダブルスのパートナーとしてコートの上でもジムの中でも多くの時を一緒に過ごしてきた。そして、2019年の「全米オープン」をもって、共に現役生活に幕を下ろす。


有名なテニスコーチである父と「ウィンブルドン」出場経験もある元選手の母の間に生まれ、2歳からラケットを握ってきたマイクとボブ。ともに190cm台の長身と双子ならではの息の合ったプレーで、2003年に世界1位となって以来、長年にわたってトップクラスの活躍を披露してきた。20年以上に及ぶキャリアで、ペアとして118のトロフィーを獲得し、歴代最多となるグランドスラム16勝をはじめ数々の栄冠を手にし、2012年ロンドン五輪では金メダリストに。「史上最強のダブルス」と称されるだけでなく、ATPの人気投票で14回「最も好きなダブルス」に選ばれるなど、ファンからも愛されている。


ずっと二人三脚で歩んできた彼らに2018年、大きな危機が訪れる。弟のボブが5月のマドリード大会決勝でプレー中に臀部を痛めてしまい、兄弟は通算1409試合目にして初の棄権を経験。その後ボブは人工股関節手術を受けるが、この手術を受けて現役復帰した例はそれまでないほど深刻な負傷だった。しかし兄マイクは弟の復帰を信じ、複数のパートナーと共に戦いながらその帰りを待つことに。代役たちとでも一定の結果を出していたが、中でもジャック・ソック(アメリカ)とは即席ペアながら2018年の「ウィンブルドン」と「全米オープン」、さらに「ATPファイナルズ」でも優勝するほどの好成績を残す。それでも、前例を覆してボブが戻るとマイクはすぐさま弟と再度組み、ブライアン兄弟ペアが復活。ボブは痛み止めを使いながらの復帰となったが、2019年8月には兄弟で通算1100勝を達成した。


一度はペア続行が無理かもしれない状況に陥ったことで、双子は共に戦えることの有難さを噛みしめている。ボブは離脱中に自宅のテレビでマイクの姿を見て「一緒にプレーしている時は当然のことと思ってしまうけど、今回あらためて彼がいかに素晴らしい選手であるかに驚いた」と語り、兄弟で通算1100勝を達成したマイクは「一緒にプレーできることが本当に嬉しい」と喜びをにじませる。


前人未到の記録を築いてきたブライアン兄弟が、引退するまでにどんなプレーを見せ、さらなる偉業を成し遂げるのか――。彼らの有終の美を見届けたい。


(テニスデイリー編集部)


※写真は左ブライアン兄弟とウイリアムズ姉妹
(@Getty Images)

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