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テニス界を沸かせたライバル関係 ~第3回 アンドレ・アガシ×ピート・サンプラス~

テニス界を沸かせてきた様々なライバル関係。それにより追われる者は強さを増し、追う者も戦いを通じて磨き上げられ、緊張感を増していく対戦に観客はいっそう熱狂する。時には社会をも動かすほど印象的なライバルたちの関係が築かれることもある。本稿では、1990年代初めから10年以上にわたり、アメリカ国内だけでなく世界のテニス界を代表するライバルだったアンドレ・アガシ(アメリカ)vsピート・サンプラス(アメリカ)のライバル関係を紹介していこう。

アガシは1970年生まれ、サンプラスは1歳下の1971年生まれと同世代。ともに移民をした親に持ち、アメリカンドリームを体現する存在と見なされた。プロになったのも脚光を浴びたのも、年上で華やかな雰囲気を持つアガシが先行。しかし、グランドスラム優勝を先に飾ったのは武骨なタイプのサンプラスだった。1988年のプロ入り直後はアガシからろくに名前も覚えられていなかったにもかかわらず、フォームを直して急速にレベルアップし、二人にとってグランドスラム初対戦となった1990年の「全米オープン」決勝で"先輩"に6-4、6-3、6-2のストレート勝利。同大会史上最年少記録(19歳と28日)というおまけ付きだった。

サンプラスの「全米オープン」勝利は、アガシをしばらくスランプに陥らせるほど大きなショックを与えた。出遅れたアガシがグランドスラムのタイトルを初めて手にしたのは、1992年の「ウィンブルドン」。ただし決勝の相手はサンプラスではなく、彼を準決勝で破ったゴラン・イバニセビッチ(クロアチア)だった。アガシがグランドスラム決勝で宿敵をついに破ったのは1995年の「全豪オープン」。第1セットを落とした後で盛り返し、4-6、6-1、7-6(6)、6-4で同大会初優勝を飾った。

世界ランキングでも先に1位となったのはサンプラス。とはいえ、彼が82週キープしてきた首位の座を奪ったのは、1995年の「全豪オープン」で彼を下したアガシだった。その後も二人は2000年まで1位の座を争い続ける。それぞれベストサーバーのサンプラスとベストレシーバーのアガシと称えられ、対戦した34試合のうち半分近く(16試合)が決勝戦であった事実が示すように、二人は当時の男子テニス界をリードするツートップだったと言えるだろう。

グランドスラムでの9度の対戦はサンプラスの6勝3敗ということもあり、通算優勝回数でサンプラスは歴代3位タイの14回と、同9位タイの8回であるアガシを大きく上回る。通算対戦成績もサンプラスから見て20勝14敗(勝率59%)。しかし、生涯グランドスラムを達成したのは「全仏オープン」無冠のサンプラスでなくアガシ。さらにアガシは1996年のアトランタ五輪で優勝して金メダルを獲得と、キャリア・ゴールデンスラムも達成している。

二人はデビスカップでチームメイトとして2度優勝を成し遂げたり、合同でインタビュー取材を受けたり、ナイキのCMで共演したり、ミュージカルの舞台を連れ立って観に行ったりしたが、決して友人関係ではなかった。サンプラスはインタビューでアガシの好きなところを聞かれて返答に詰まった末に、「彼の旅の仕方」と発言。ただし、コート上では決勝戦という"デート"で顔を合わせるのがお互いに楽しみだったと、アガシは自叙伝で語っている。

最後の"デート"になったのは、2002年の地元「全米オープン」での決勝。サンプラスは第17シード、アガシは第6シードとして参加して勝ち進むと、同大会での過去3度の対戦と同じようにサンプラスが勝利(6-3、6-4、5-7、6-4)。これでサンプラスは史上最多(当時)となる14回目のグランドスラム優勝を成し遂げると、同大会を最後に引退したため、二人のライバル関係にも終止符が打たれた。

歴代最高の選手の一人と言われるサンプラス。そんな彼の栄光の始まりと終わりには、性格もプレーも正反対のアガシがいたのだった。

(テニスデイリー編集部)

※写真は2002年「全米オープン」でのアガシ(左)とサンプラス(右)(Photo by Al Bello/Getty Images)

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