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テニス界を沸かせたライバル関係 ~第1回 ビリー・ジーン・キング×ボビー・リッグス~

テニス界を沸かせてきた様々なライバル関係。それにより追われる者は強さを増し、追う者も戦いを通じて磨き上げられ、緊張化を増していく対戦に観客はいっそう熱狂する。時には社会をも動かすほど印象的なライバルたちの関係が築かれることもある。本稿では、"性差を超えた戦い"を繰り広げたビリー・ジーン・キング(アメリカ)VSボビー・リッグス(アメリカ)のライバル関係を紹介していこう。

「女をテニスコートに入れるのはいい。でなきゃ球拾いがいない」と豪語し、"男性至上主義者のブタ"を名乗る男子シングルスで元世界1位のリッグスが、1972年に生涯グランドスラムを達成した女王のキングに挑戦状を叩きつけたのは1973年。当時、アメリカでは女性解放運動が始まりつつあったが、テニス界で言えば全米オープンの女子の賞金額が男子の1/8という格差がまかり通る時代だった。その状況に業を煮やしたキングは、大会ボイコットを宣言し、ほかの女子選手たちとともにWTAを創設。大会のスポンサー探しもチケット販売も自分たちでやり、世界を変えようとしていた。

リッグスは、1939年のアマチュア時代に21歳にしてウィンブルドンでシングルス、ダブルス、ミックスダブルスの3冠を達成したが、その栄光は第二次世界大戦の影に隠れることに。その反動か、1959年に引退し、1967年にテニスの殿堂入りを果たした後も隠遁することなく、大口を叩き、賭け事をするお騒がせ者として知られていた。

しかしキングが挑戦を受けないことから、リッグスはまず1973年5月の母の日、母親プレーヤーであり当時女子シングルス1位だったマーガレット・コート(オーストラリア)と対戦し、6-2、6-1のストレートで勝利。その後、男性優位を声高に唱える彼がTIME誌の表紙を飾るほど注目を集めたことから、キングは女性の地位を守るために対戦を承諾する。

1973年9月20日、開催地のアメリカだけでなくテレビ中継で全世界の9000万人を超える人々が見守る一大イベントとなったキング対リッグス。スポンサーロゴの入ったジャケットを着たままでプレーしたように余裕を見せるリッグスにも動じることなく、キングは実力を如何なく発揮。6-4、6-3、6-3(5セット制)とストレートで勝利した。ただし試合後、「もし勝てなかったら、世の中の女性たちを取り巻く状況は50年前に逆戻りしてしまうところだった」と漏らした通り、多大なプレッシャーは感じていた。テニスという枠をも国境をも超えて衆目を集めた歴史的な一戦に勝ったことは、キングだけでなくすべての女子テニス選手たち、さらに社会の女性全員にとっての勝利を意味していた。

とはいえ、キングとリッグスの関係が険悪だったわけではない。例の一戦に負けた後、リッグスはネットを乗り越えるとキングに握手を求め、「ちゃんと君を危険視すべきだった」と、彼女の力を認めたという。のちにキングも、自身が10代の頃にウィンブルドンで偉業を達成した同国の先輩は「ヒーローの一人」であり、「彼のことをものすごく尊敬していた」からこそ試合で打ち負かしたのだと述べている。

リッグスの息子は、リッグスの行動はすべて演技だったと証言する。1995年に死去する数日前にリッグスはキングと会話を交わし、「あなたのことが大好きよ」と言われ、「僕もだよ。二人で大きなことを成し遂げたな」と返したとのことだ。

リッグスの言動が演技かどうかはともかく、キングだけでは成し遂げられなかったこと――女子テニス選手を含む女性たちに対する意識改革と彼らの地位向上――にリッグスが一役買ったことはまぎれもない事実だ。テニスの男女対抗試合はその後も何度か行われ、近年だとジョコビッチやウイリアムズ姉妹も参加しているが、45年が経った今でもキングとリッグスの対戦が色褪せることはないだろう。彼らの試合を描いた映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』が上映中なので、興味のある方はそちらもチェックしてみてほしい。

(テニスデイリー編集部)

※写真はボビー・リッグス(左)とビリー・ジーン・キング(右)(Photo by Sporting News/Sporting News via Getty Images)

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