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オリンピック

フェデラーのオリンピック回想:4度の出場で得たものは

2012年「ロンドンオリンピック」でのフェデラー

2016年同様、ロジャー・フェデラー(スイス)は残念ながら怪我のせいでオリンピックの舞台に帰ってくることができなくなってしまった。フェデラーは過去に4度オリンピックに出場し、開会式では2度スイスの旗手を務め、2008年の「北京オリンピック」ではスタン・ワウリンカ(スイス)とのペアで男子ダブルスの金メダルを、2012年の「ロンドンオリンピック」ではシングルスで銀メダルを獲得した。そんなフェデラーのオリンピックについての回想を、ITFの公式オンラインメディアが公開している。

「“北京オリンピック”では、準決勝と決勝の後にあの動き(寝そべるワウリンカにフェデラーが手をかざす動き)をした。単にやらずにはいられなかったんだ。スタンがとてもいいプレーをしていたから、彼は炎だと思った。だから僕は炎で暖を取って、自分を温めた。そういう動きだったんだよ。馬鹿げているけど、すごく楽しかったし、2人ともあれをやって良かったと思っていたはずだ。


北京のダブルス準決勝は大一番だった。まず、相手がブライアン兄弟だったからね。その次に、そこで勝てば銀メダルか金メダルを獲得することが決まっていたというのもある。準決勝で負けた選手が自動的に銅メダルをもらえないのは残念だと思う。僕は2000年にそうやってメダルを逃したからね。準決勝で負けて、銅メダルを賭けた試合でも負けた。だから2000年は大きな悲嘆を味わったよ。


北京でスタンと一緒にダブルスで優勝した時のとても楽しい経験を思い出すよ。シングルスで敗退した後、そのことが本当に僕の気持ちを高揚させてくれた。シングルスではメダルを取りたいと本当に思っていたのに、できなかったからね。僕はジェームズ・ブレイク(アメリカ)に負けて、そのすぐ後にダブルスの試合に出なければいけなかった。だからスタンは「こっちが本番だよ。さあ、やろうぜ」っていう感じだったね。セベリン・ルティ(スイスのテニスチームのキャプテン)とスタンと一緒に過ごした大きな1週間だったよ。素晴らしかった。


2012年のオリンピックでは、シングルス準々決勝でジョン・イズナー(アメリカ)と対戦した。あの試合を勝ち切れたことにはすごく安心したよ。それまでシングルスでメダルを獲ったことがない中で、メダル獲得のチャンスを2度手にしたわけだからね。だから、フアン マルティン・デル ポトロ(アルゼンチン)との試合が始まった時、僕はすごくワクワクしていた。「ウィンブルドン」で彼に勝っていたから、勝てる見込みは大きいと思ったんだ。


突然、僕は彼をブレークできないと気づいた。その次にわかったのは、第2セットのタイブレークを取らなければいけないということだった。第3セットに持ち込むための極限の状態で、ずっとどうやっても彼をブレークできなかった。ようやくブレークできたと思ったらラブゲームブレークバックされて、その1時間後にようやく試合を決めることができた。心底安心したよ。暑い日で、よく晴れていた。素晴らしい雰囲気で、あれは僕の選手生活の中でも間違いなく感情のこもった勝利だったね。


問題は、決勝でアンディ・マレー(イギリス)に負けた後、その状況をどう見るかだ。グラスは半分満たされていると見るのか、半分空だと見るのか?小さい部屋に入って、コートから離れ、公式ウェアを着る。その間、コートに戻るまでに5分の時間が与えられる。実際、その時間に何が起きたかを振り返ることができるんだ。とても悲しいかもしれないし、腹が立っているかもしれないし、嬉しいかもしれないけど、何であれね。


僕はそこに座って、ただ気の抜けた状態で、悲しかったよ。決勝ではほとんどチャンスが無かった。だけど、「ウィンブルドン」の会場でオリンピックの試合をする機会なんて二度とないという気がしたから、今はすごくがっかりしているけど、いい面も見られるようになると思った。


出ていくとデル ポトロがいて、僕は「どうだった?」と聞いたんだ。てっきりノバク・ジョコビッチ(セルビア)に負けたと思っていたからね。彼は「いや、勝ったよ」と言ったから、僕は「本当かい、わあ、銅メダルおめでとう。本当に素晴らしいことだ」と返した。そうしたら、僕自身とてつもなく嬉しく感じていると気づいたんだ。なぜって、彼は銅メダルをとって恍惚としていたからね。僕が銀メダルという結果を残したことも素晴らしいことだと思ったし、アンディの金メダル獲得も嬉しかった。この日以降、僕たち3人はある意味でずっとつながっているんだ。


完敗を喫したけど、とても重要な1日だった。とてもネガティブになっていたかもしれないけど、そんなことはなかった。実際、スイスのために銀メダルを獲得できて本当に誇らしく幸せだと僕は言ったよ。


スイスの旗手を2度務めたのは間違いなく僕の誇りだ。アテネでも北京でも素晴らしい体験だった。北京は本当にひどく暑くて、開会式は気がおかしくなりそうだった。ドイツの選手団はライトブルーの服を着ていたんだけど、夜が終わるころにはダークブルーになっていたのを憶えてる。みんなひどく汗をかいていたせいでね。


2000年の「シドニーオリンピック」では、ミルカ(・バブリネック、後にフェデラーと結婚)が1回戦でエレナ・デメンティエワ(ロシア)に負けた。ミルカもスイス選手団として参加していたんだ。彼女とエマニュエル・ガグリアーディがね。スイスの男子選手は僕だけだった。マルク・ロセ(スイス)も参加するはずだったけど、取りやめたんだ。僕が唯一の男子選手になって、コーチや理学療法士や他のみんなと、5~6人でずっと一緒に過ごした。最高の時間だったね。僕は準決勝でトミー・ハース(ドイツ)に、銅メダルを賭けた3位決定戦でアルノー・ディ パスカル(フランス)に、手痛い2連敗を喫した。ミルカはまだそこにいた、練習するためと、僕や他の選手たちみんなを支えるために残っていたんだ。その時、僕らはただの友情以上のものがあると気づいたんだ。そういう風になって嬉しいよ」


(テニスデイリー編集部)


※写真は2012年「ロンドンオリンピック」でのフェデラー
(Photo by Clive Brunskill/Getty Image)

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