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アガシが語るオリンピック「3億人のチームのために戦った」

写真は2017年「ウィンブルドン」観戦するアガシ

アンドレ・アガシ(アメリカ)は、キャリアの中ですべてのグランドスラムとオリンピックを制覇したゴールデンスラム達成者だ。この偉業を成し遂げたのはアガシの他に、2008年の「北京オリンピック」で金メダルを獲得したラファエル・ナダル(スペイン)、そしてアガシの妻であり、1988年に4つのグランドスラムと「ソウルオリンピック」で優勝したシュテフィ・グラフ(ドイツ)だけ。アガシがオリンピックに出場したのは1996年の「アトランタオリンピック」1回のみだが、自国開催の大会で見事金メダルを獲得した。「東京オリンピック」を前に、アガシが当時の思いを振り返っている。ITF(国際テニス連盟)公式ホームページが伝えている。

「父の影響もあって、とてもワクワクしていたのは間違いない。父はテニスがオリンピックに復帰することをいつも確信していたみたいだった。父はよくオリンピックのことや、彼自身が(ボクサーとして)出場した2回のオリンピック大会での失望感について語っていた。父は、僕のことを“未来の世界No.1プレイヤーだ”って紹介していたし、オリンピックで勝つという、僕のコントロールの及ばないことに対して責任を負わされていると感じていた。その頃テニスはオリンピックの競技でさえなかったのに!(1928年から1984年までオリンピックでは、テニスは競技種目に含まれていなかった。)


メダルを獲得することはとても特別なことだった、特に父がその場にいたから。その瞬間にどう感じるか、心の準備をすることはできないと思う。テニス選手として経験したどんなこととも違っていた。「デビスカップ」でさえ、自分より大きなもののために、ゴールに向けて責任を共有する、という側面がある。オリンピックでは、自分より大きなもののためにゴールに向かうのは自分だけだ。圧倒されるような気分だったし、誇りに思う気持ちも自覚していた。


グランドスラムでの勝利や世界一になるなど他の功績もあったけれど、その勝利の瞬間は明らかにそれらより大きなものだと感じた。いろんなところで書かれているから知っているだろうけど、僕とテニスの関係性はとても希薄なものだった。僕はよく、自分の気持ちの変遷を憎愛と呼んでいる。僕とテニスの関係性が変わったのは、テニスをするための自分なりの理由を見つけた時だった。そしてその理由というのは僕のことではなく他のこと、子どもたちや学校など、毎日僕に刺激を与えてくれて、モチベーションを与えてくれるものだった。(アガシは2001年にチャータースクールを設立している。)


オリンピックはある意味その理屈に合っていた。僕のことではなかったから。僕は、3億人のチームがあって、そのためにプレーしているような気分だった。だから、実際の具体的な結果と繋がりを持てたような、その時まで感じたことがなかった気持ちになったんだ。


すべてのグランドスラムに勝利し、金メダルを獲得することは、多くの偉大なチャンピオンたちにもその機会がなかった。めったに無いことだと思うし、僕にとっても特別で、ありがたく思っている。


決勝の日はとても緊張した。決勝だけが5セットマッチで、相手のセルジ・ブルゲラ(スペイン)は長い試合に耐えられる選手だと分かっていたからね(決勝以外は3セットマッチで行われた)。その日の天気予報は100%雨で、実際に土砂降りだった。


だからたっぷり食事をしようと食べ始めると、天気はあっという間に変わってしまった。1日中降り続くような土砂降りから快晴になり、温度は32℃、湿度は88%。あと1時間半でコートに出ることになった。こう思ったのを覚えているよ。こんなに胃の中に食べ物があって、これが僕の金メダルの夢の終わりにならなきゃいいけどって。


メダルは、僕とギル・レイエス(アガシのトレーナー)のために建てたジムの中にグランドスラムのトロフィーと一緒に飾ってある。僕たちはこのプライベートジムで何年もトレーニングしてきたから、練習をしなければいけない時に僕を元気づけてくれる場所に、そしてそれらを達成する結果をもたらしてくれた場所に置いておくのが良いと思ったのさ。ジムにトロフィーを置くことは僕にとってとても自然なことに思えるんだ」


(テニスデイリー編集部)


※写真は2017年「ウィンブルドン」観戦するアガシ
(Photo by Visionhaus/Corbis via Getty Images)

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