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グランドスラム

男子最年少グランドスラム覇者トップ5、ナダルやチャンコーチは何位?

「全仏オープン」でのナダル

1968年のテニスのオープン化以降、多くの10代の男子選手がグランドスラムで観客をあっと言わせてきた。四大大会の男子シングルスで優勝した最年少の選手5人の顔ぶれを、テニス関連ニュースサイトTennis Headが報じている。

第5位:ラファエル・ナダル(スペイン) 2005年「全仏オープン」、19歳と3日


2005年シーズンが始まった時18歳だったナダルは、既にグランドスラム本戦に4度出場を果たしており、2004年8月にポーランドのソポトで行われた大会で、ツアーレベルでの初優勝を遂げていた。2005年の幕開けとして、「全豪オープン」で4回戦に進出。その後「ATP1000 マイアミ」で決勝に勝ち進み、当時世界ランキング1位のロジャー・フェデラー(スイス)に屈した。


これに続いて、ナダルは「ATP1000 モンテカルロ」決勝で、当時世界9位で2004年「全仏オープン」準優勝者であったギジェルモ・コリア(アルゼンチン)を破って優勝し、自身初のマスターズ1000大会のタイトルを獲得。その数週間後の「ATP1000 ローマ」でも、ナダルは同じ相手に対して同じ成果を挙げた。


そして第4シードで「全仏オープン」に出場すると、1セットを落としただけでベスト8に進出。準々決勝では同胞のダビド・フェレール(スペイン)をストレートで一蹴し、フェデラーとの準決勝に駒を進めた。ナダルはマイアミのリベンジを果たし、4セットでフェデラーに勝利。決勝では当時世界37位のマリアノ・プエルタ(アルゼンチン)に、第1セットをタイブレークの末に奪われたものの、続く3セットを6-3、6-1、7-5で立て続けに奪った。この時ナダルは19歳の誕生日を迎えて数日が経ったばかりだった。


こうして、ナダルと「全仏オープン」との親密な関係が始まったのだ。現在までにナダルはここで最多記録である13度の優勝を果たしている。


第4位:ビヨン・ボルグ(スウェーデン) 1974年「全仏オープン」、18歳と10日


1974年の「全仏オープン」は、ボルグにとって2度目に出場する「全仏オープン」であり、グランドスラム全体では5度目であった。この時までにボルグは4つのタイトルを獲得しており、それには「全仏オープン」直前に「ATP1000 ローマ」で獲得したクレーコートでのタイトルも含まれていた。


ボルグは前年覇者のイリー ・ナスターゼ(ルーマニア)、同大会で2度の優勝経験を持つヤン・コデシュ(チェコ)に続く第3シードとして「全仏オープン」に出場。2回戦までは2セット先取で行われ、ボルグは初戦で1セット落としたものの、2回戦はストレートで勝利。続く3試合のうち4回戦と準々決勝は、それぞれエリック・バン ディレン(アメリカ)、ラウル・ラミレス(メキシコ)との5セットの熱戦となった。準決勝では、ナスターゼを破って勝ち上がってきたハロルド・ソロモン(アメリカ)を下した。


決勝ではタイトルを賭けて第14シードのマニュエル・オランテス(スペイン)と対戦したが、試合は経験で勝るオランテスに有利な展開で始まった。オランテスは最初の2セットを6-2、7-6(4)で奪い、ボルグを敗北寸前まで追い詰めた。しかし27歳のオランテスは疲弊してか、その後の20ゲームのうち2ゲームしか獲得できず、ボルグが6-0、6-1、6-1で3セットを連取し、初のグランドスラムタイトルを手にした。


ボルグはその後同大会で合計6度優勝し、「全仏オープン」は彼にとって最も好成績を挙げたグランドスラムとなった。これは2012年にナダルに塗り替えられるまで、オープン化以降の最多記録だった。


第3位:マッツ・ビランデル(スウェーデン) 1982年「全仏オープン」、17歳と288日


パリは若い選手に有利に働くようだ。この選手も初の四大大会タイトルをパリで獲得している。第4位のボルグに続く2人目のスウェーデン選手ビランデルは、1981年の「全仏オープン」ジュニア男子シングルスの部で優勝し、同じ年の「ウィンブルドン」でグランドスラムでのシニアデビューを果たした。


ビランデルが翌1982年の「全仏オープン」に出場した時は、世界18位だったためシードがついていなかった(2000年までは第16シードまでだった)。3回戦までは1セットしか落とさず勝ち進み、4回戦では世界3位の第2シード、22歳のイワン・レンドル(チェコ)にセットカウントで2度先行されたものの、第5セットを6-2で勝ち取った。1980年の準優勝者であり世界9位のビタス・ゲルレイティス(アメリカ)との準々決勝では、ビランデルが6-3、6-3、4-6、6-4の4セットで勝利。準決勝の相手は世界6位のホセ ルイス・クラーク(アルゼンチン)であったが、ビランデルはまたも4セットで撃破。最後にビランデルは1977年の覇者でグランドスラムで合計4度優勝していたギジェルモ・ビラス(アルゼンチン)との決勝で、最初のセットを1-6で落としたものの、続く3セットを7-6、6-0、6-4で連取し、自身初のグランドスラムタイトルを獲得。ビランデルは後に「全仏オープンで」は計3回、グランドスラムでは合計7回優勝を果たしている。このタイトルはまた、ビランデルにとって初のATPタイトルであった。


第2位:ボリス・ベッカー(ドイツ) 1985年「ウィンブルドン」、17歳と227日


次もノーシードから優勝した選手だ。西ドイツ出身のベッカーは世界20位で大会に臨んだが、この時はロンドンでの前哨戦で初タイトルを獲得したばかり。グランドスラム出場は4回目で、「ウィンブルドン」に限れば2回目、前年は3回戦まで進出していた。


1・2回戦は比較的簡単に勝ち進んだが、そこからは2試合連続で5セットにもつれた。相手はいずれも世界20位以内のヨアキム・ニーストロム(スウェーデン)とティム・メイヨット(アメリカ)であった。これに続いてベッカーは世界26位のアンリ・ルコント(フランス)と世界6位のアンダース・ヤリード(スウェーデン)に打ち勝ち、決勝へと進んだ。


決勝は、世界9位で前年の「全豪オープン」でも決勝に進出していたケビン・カレン(南アフリカ)との対決となった。最初の2セットを分け合った後、ベッカーが2セットを連取して勝利を手にし、後に達成する「ウィンブルドン」3回、グランドスラム計6回のうちの最初の優勝を果たした。


第1位:マイケル・チャン(アメリカ) 1989年「全仏オープン」、17歳と110日


男子の最年少グランドスラム優勝者は、このランキングに登場した5人のうち唯一人、四大大会タイトルを一つしか保持していない選手でもある。チャンにとって1989年の「全仏オープン」は、5度目のグランドスラム本戦出場であり、それまで四大大会では4回戦より先に進んだことはなかった。


第15シードとして出場したこの大会で、チャンは1セットしか落とさずに4回戦に勝ち進み、そこで世界1位のイワン・レンドル(チェコ)と対戦。レンドルは「全仏オープン」で3度優勝しており、同年には「全豪オープン」でも優勝していた。この試合でレンドルは6-4、6-4とリードし、チャンを崖っぷちに追い込んだ。しかしチャンはそこからの3セットを6-3、6-3、6-3で連取するという番狂わせを演じた。チャンは続く2試合をいずれも4セットで勝ち取り、世界3位でグランドスラムを3度制していたステファン・エドバーグ(スウェーデン)と対峙することとなった(エドバーグはその後さらに3度、グランドスラムで優勝)。


チャンは6-1でセットを奪いリードしたものの、その後セットカウント2-1と逆転されたが、最終的に第4セットと最終セットを6-4、6-2で勝ち取って素晴らしい大会を締めくくった。


(テニスデイリー編集部)


※写真は「全仏オープン」でのナダル
(Photo by Aurelien Meunier/Getty Images)

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