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ATPランキングトップ10連続在位週トップ5!

2008年の「ウィンブルドン」決勝後のフェデラー(左)とナダル(右)

ATP世界ランキングトップ10内の連続在位最長記録を持つ5人の男子選手は、全員がトップ10で丸10年以上連続で過ごしている。この驚くべき5人の記録を、テニス関連ニュースサイトTennis Headが報じた。

第5位:ピート・サンプラス(アメリカ) 565週


グランドスラムで14度優勝したピート・サンプラスは、1990年の「全米オープン」で初の四大大会タイトルを獲得すると同時に、初めて世界ランキングトップ10入りを果たした。決勝でアンドレ・アガシ(アメリカ)を破り、1990年9月10日に世界12位から6位へと浮上したのだ。


ここから先、1990年代を通してサンプラスはトップ10内に在位し続けた。1991年にはシーズン最終戦で、そして1992年には「デビスカップ」で優勝したものの、再びグランドスラムのタイトルを手にするまでには3年近くを要した。1993年4月に初めて世界1位の座につくと、同年の「ウィンブルドン」で2度目のグランドスラム優勝を成し遂げた。その年、サンプラスは最終的に獲得する7つの「ウィンブルドン」タイトルの1つ目を獲ったわけだが、彼の引退時点で「ウィンブルドン」7度優勝はオープン化以降の最多記録であった。


初めて世界1位に登りつめて以降、サンプラスは11度にわたって合計286週を世界1位として過ごした。サンプラスの引退時点ではこれも最長記録であったが、現在では世界1位で過ごした合計週数で第3位の記録となっている。サンプラスの記録を上回っているのはロジャー・フェデラー(スイス)とノバク・ジョコビッチ(セルビア)だ。トップ10内にいた1990年代の間に、最初の「全米オープン」と「ウィンブルドン」のタイトルに加えて、サンプラスはグランドスラムでさらに11度優勝。加えて、ツアー最終戦でもさらに4度優勝し、これは歴代2位タイの記録となっている。


2000年に入った時点で、サンプラスは世界3位につけており、2001年7月9日までトップ10にとどまった。この間に「ウィンブルドン」で7度目かつ最後となる優勝を果たし、グランドスラムの獲得タイトル数を13に伸ばした。サンプラスはこのように11年近く連続して、ATPのトップ10に在位し続けた。


2001年と2002年に、サンプラスはさらに2度にわたって合計20週をトップ10内で過ごした。最後に、2002年の「全米オープン」決勝でアガシを破り、サンプラスは14個目のグランドスラムタイトルを手にして選手生活を締めくくった。これは初の四大大会優勝を飾った12年前と同じ対戦カードであった。


第4位:イワン・レンドル(チェコ/アメリカ) 619週


サンプラス同様、イワン・レンドルも、新たな10年が始まったばかりの1980年7月7日に初めてトップ10に入った。これは、同年の「ウィンブルドン」でレンドルが2度目のグランドスラム出場にして3回戦進出を果たした直後であった。サンプラスと同じように、レンドルも1980年代の残りをトップ10内で過ごすこととなった。


初のトップ10入り後、チェコスロバキアの一員として1980年の「デビスカップ」で優勝し、1981年と1982年にはツアー最終戦を制した。1983年2月に、レンドルは史上初めて、グランドスラムで優勝することなく世界ランキング1位に登りつめた男子選手となった。レンドルの後にこれを再現したのはマルセロ・リオス(チリ)ただ一人である。レンドルは世界1位に合計270週にわたって在位し、これは歴代4位の記録となっている。


1984年の「全仏オープン」決勝で壮大な5セットの試合の末にジョン・マッケンロー(アメリカ)を下し、初めてのグランドスラム制覇を果たした。選手生活を通して獲得した8つのグランドスラムタイトルの全てをトップ10在位中に手にしたほか、19度の四大大会決勝進出も全てトップ10在位中に成し遂げた。実のところ、レンドルは1981年の「全仏オープン」で初めて四大大会の決勝に進出してから1991年の「全豪オープン」で最後に決勝進出するまで、毎年1度はグランドスラムの決勝に進出している。


1992年5月18日にレンドルはトップ10から陥落。同じ年の8月に10位内に復帰し、1993年8月に再び陥落するまでの51週をトップ10圏内で過ごした。これが、レンドルが最後にトップ10にいた時期である。全体で、レンドルは12年近く世界10位内に在位していた。


第3位:ロジャー・フェデラー(スイス) 734週


ロジャー・フェデラーは、2002年5月の「ATP1000 ハンブルク」優勝により初めてトップ10入りを果たした。10位内で7週を過ごした後、1週だけ11位に下がり、再び10位に上がって3週を過ごすと、また下がってしまう。この年の10月にオーストリアのウィーンで優勝したことで、10月14日に再びトップ10内に浮上。この時からむこう14年間をATPランキング10位内で過ごすこととなった。この間にフェデラーはグランドスラムで27度決勝に進出し、現在までに獲得した20個のグランドスラムタイトルのうち17個を手にした。


さらにシーズン最終戦で6度、マスターズ1000大会で23度の優勝を果たし、世界1位で302週を過ごした。このうち2004年6月から2008年8月までの237週は連続での世界1位在位であり、ATPの連続1位在位最長記録となっている。


そして2016年11月7日にトップ10から陥落。この年、フェデラーは怪我のため7月の「ウィンブルドン」でシーズンを早期終了していた。2017年に復帰し、この年の「全豪オープン」で18個目のグランドスラムタイトルを獲得すると、1月30日にトップ10に返り咲いた。


2017年の「ウィンブルドン」優勝と2018年の「全豪オープン」タイトル防衛により、フェデラーはさらに2つの四大大会タイトルを獲得した。2018年6月24日に、36歳と10ヶ月という世界ランキング1位最年長記録を樹立。さらに、世界1位在位の通算最長記録310週という記録も打ち立てたが、この記録は2021年3月にジョコビッチによって破られた。フェデラーはその後2021年10月18日にトップ10から陥落したが、一度陥落して以降この時点まで、4年半以上にわたってトップ10に連続在位していた。通算のトップ10在位週ではフェデラーは他を引き離した最多の968週で、他に900週を超えている選手はいない。


第2位:ジミー・コナーズ(アメリカ) 789週


ジミー・コナーズは、1973年8月に世界ランキングが導入された時、最初のATPトップ10選手の1人となる栄誉に恵まれた。その時コナーズは世界10位だった。1974年の「全豪オープン」と「ウィンブルドン」でグランドスラムでの1つ目と2つ目のシングルスタイトルを獲得すると、同年7月29日に世界1位に登りつめた。そこから1977年8月22日まで、160週にわたって1位の座についていた。この間に1974年と1976年の「全米オープン」で優勝している。


ビヨン・ボルグ(スウェーデン)に1週だけ1位の座を奪われたものの、コナーズはその後さらに84週を世界1位として過ごした。9つの期間にまたがる合計268週を世界1位として過ごした後、1988年10月3日に、1週のみトップ10から陥落し、連続在位記録は途絶えた。この時36歳であったコナーズは、この時点まで15年以上続けてトップ10に在位し続けていたが、これはこの時点でのランキングシステムの存続年数そのものであった。


コナーズは、獲得した8つのグランドスラムタイトルの全てをトップ10圏内にいる間に手にしたほか、1977年にはツアー最終戦で優勝している。1988年10月10日から1989年4月30日までの29週を再びトップ10選手として過ごし、それ以後は再び10位内に浮上することはなかった。


第1位:ラファエル・ナダル(スペイン) 839週(継続中)


ラファエル・ナダルは、2005年4月25日、18歳の時にトップ10入りを果たした。この時バルセロナでの初タイトルを手にしたばかりであったが、これはナダルにとって5つ目のATPツアータイトルであり、2005年では4つ目のタイトルであった。この勝利によりナダルは世界ランキング11位から7位に浮上し、これ以降2021年10月時点まで、トップ10から落ちたことはない。


ナダルはトップ10選手として16年半を続けて過ごし、今もこの記録は伸びている。これは連続6,000日を超えている。現在35歳のナダルはこの間にグランドスラムで28度決勝に進出し、現在までに獲得した20個のグランドスラムタイトルの全てを手にした。さらに、現在までに獲得した36個のマスターズ1000タイトルのうち35個をトップ10在位中に手にしている。2015年に、ナダルは世界10位として危うい7週を過ごした。しかしそれより下に落ちることはなく、現在までに世界1位として過ごした209週のうちの68週は、これ以降に記録したものとなっている。


(テニスデイリー編集部)


※写真は2008年の「ウィンブルドン」決勝後のフェデラー(左)とナダル(右)
(Photo by Julian Finney/Getty Images)

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