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24歳の桑田寛子が初優勝「プロになるときの目標が一つ達成できた」 [全日本テニス選手権]

 「第90回記念大会 橋本総業 全日本テニス選手権」(予選10月29~31日、本戦10月31日~11月8日/賞金総額2846万円/東京・有明コロシアムおよび有明テニスの森公園テニスコート)は7日、女子シングルス決勝が行われ、第1シードの桑田寛子(島津製作所)が第4シードの瀬間詠里花(橋本総業)を6-2 6-3で破り、初優勝を果たした。

 全日本のタイトルの意味は選手それぞれに違うが、桑田は「スポンサーや家族にとって、全日本のタイトルは大きな意味があるからうれしい」と繰り返していた。

 これから世界に出て行く段階のテニス選手は、誰かの支援を受けながら生活を成り立たせているケースがほとんどだ。社会的に見れば、まだまだ若者。「勝つことでしか恩返しができない」と、以前ある選手に聞かされたことがあるが、高校時代はほぼ無名で、大学テニスで大きく成長し、卒業後にプロ転向するという「遅咲き」だった桑田にとっての全日本は、自分のためであるのと同時に、自分を信じて支えてくれた人々のためのタイトルでもあったということなのだろう。


 どちらが勝っても初優勝。27歳の瀬間詠里花(橋本総業)にとっても、この全日本は悲願のタイトルだった。姉の瀬間友里加(Club MASA)が引退を表明したこの大会で、2011年大会に叶わなかった優勝を果たすのは、彼女にとっても大きな意味があった。
 試合開始直後のダブルフォールトは、その緊張の現れだったのかもしれない。お互いにブレークを交換し合ったあとの第4ゲームで、先に桑田がサービスキープに成功し、3-1とリードした。

 第1セットの山場は、桑田が3-2とリードして迎えたサービスゲームで、8度のデュースの末にキープした場面だろう。桑田も瀬間(詠)もポジションを上げ下げしながらの激しい駆け引きをしながら、瀬間(詠)は鉄壁の守備を見せ、桑田はラケットを振り抜き続けた。
 
 桑田の武器は自他ともに認めるフォアハンドの強打と精度。瀬間(詠)は「(相手が角度のつけにくい)真ん中を使ってラリーをしたり、展開したり、やれることはすべてやった」と言うが、この日の桑田はフォアだけでなく、バックハンドからもクロスに、あるいはダウン・ザ・ラインに強力なボールを深く突き刺し続けた。

 「ラリーで負けないようにして、我慢するところは我慢して、攻めのテニスができた」と桑田。試合後の瀬間(詠)が「自分の100%が、相手の100%に上回られた。自分のベストのテニスはやれた。悔しいが後悔はない」と潔く負けを認め、「また頑張ろうかなと思う」と笑顔さえ見せた。

 様々なエクスキューズはある。第2セットも桑田が先に4-1とリードしたものの、第6ゲームで瀬間(詠)がブレークバックに成功したのをきっかけに4-3まで挽回、流れが瀬間(詠)にわずかに傾きかけた第8ゲームの途中に、にわか雨が落ち、試合が中断した。これで桑田が集中力を取り戻してしまったのは、瀬間(詠)にとっては痛かっただろう。

 しかし、瀬間(詠)は「いい形できていたのは間違いない。雨の中断があったからかはわからないが、相手も集中し直してきた」と認めつつ、「でも敗因はそれだけじゃない」と、あくまでもこの日は桑田のテニスのほうが試合を通じて自分より上だったと強調したのが印象的だった。

  現在、世界ランキング228位の桑田は「トップ100を目指してやっている。できないことではない。絶対にいけると信じてやっている」。

 大学テニス部出身で全日本タイトルを獲った選手は、1997年の遠藤愛(当時・筑波大大学院/筑波大テニス部出身)以来、18年ぶり。以降、1998年に岡本聖子(当時、在学中で3年生/亜細亜大テニス部出身)、2001年に竹村りょうこ(当時・荏原製作所/慶應義塾大テニス部出身)、2007年に波形純理(当時・北日本物産/早稲田大テニス部出身)が決勝を戦っているが、準優勝だった。今回、桑田は風穴を開けたかもしれない。
 「大学で4年間、テニスに取り組めるのは大きいし、プロでも(活躍)できると思う。全日本でも学生が活躍してほしい」と桑田は言う。

 桑田は、9月にWTAツアーのタシケントの大会で初優勝を果たした20歳の日比野菜緒(フリー)の姿を見て、「自分にもできると思った」と話した。この桑田を見て、自分にも、と考える学生選手たちもきっと増えるだろう。日本女子にまた新たな可能性の扉を一つ開いたのが、この桑田の勝利かもしれない。

テニスマガジン/ライター◎浅岡隆太)

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